アラフォーうつ病の博士の就活

こんにちは、めいじーです。

うつ病の治療が始まって1年と少し。

当初は快復にどれくらいかかるか想像もつきませんでしたが、私の場合、家族の支えのおかげで運良く1年ほどでだいぶ体調がよくなり、家事や育児でリハビリをしながら社会復帰を目指して就職活動をしています。

 

しかし、今のところ年齢やうつ病で1年以上職歴がないことも影響しているのか、就職活動はうまくいっていません。

これを期に、全く今までと異なる分野への挑戦も考え、応募をしても書類審査で落とされてしまいます。

採用する側からしたら、同じ未経験だとしても、若くて健康な方がいたら、そちらを取る確率が高いのは明白。

私のような状態の人間を採用するにはよっぽどの理由が必要だと思います。

 

アラフォーでうつ病の博士という扱いが面倒そうな状態のフルコンボ

その上、前職はうつ病で1年と経たずにやめている。

とはいえ、これほどまでに就職への道が狭まるとはあまり考えていませんでした。

 

うつ病になる前に頑張っていたことを社会が否定している気がして、これまでのキャリアは何だったんだろう?と感じることがあります。

残念ながら、モノだけでなく、人もこわれたら使い捨てる社会なのかと思ってしまう。

成果・利益を追求するために合理化を行っていくのが現代社会だと思いますが、それが行き過ぎると、弱い立場の人たちが生きにくくなる。

 

とはいえ、くよくよしててもしょうがないので、行動あるのみです。

体調がよくて行動できるだけでとても嬉しいので。

 

就職活動についてはまた今度詳しく書いていこうと思います。

それではまた。

 

 

 

ゆっくりと進行していったうつ

こんにちは、めいじーです。

私は現在うつ病ですが、昔はまさか自分がうつ病になるとは思ってもいませんでした。

 

なんなら、自分はストレス耐性が高いし、徹夜で仕事しても心も体も健康だし、絶対にうつにならない!という根拠のない自信を持っているちょっと困ったやつでした。

 

今思えば、7年ほど前に大学での研究が多忙だったことに加え、同僚との不和、引越による環境変化、身内の不幸などが重なり、めまいが起きたあたりから、体調が変化していったように思います。

めまいが起きたとき、初めての経験にびっくりはしましたが、病院での身体検査では全く異常もなかったので、ちょっと疲れていただけだと考え、その後は体調など気にせず研究に没頭していました。

 

若手の研究者は1年や3年、5年といった任期があるのが普通で、任期内に研究成果を出さなければ次の職を得るのは難しい世界です。

だからといって競争の厳しい世界に好きで飛び込んだのは自分なので、とにかく自分を追い込んで頑張っていました。

 

その後、年々めまいが起きやすくなり、疲れやすく、気力や集中力がなくなっていきました。

最初は年齢のせいだろうなと思ったので、ランニングをして体力づくりをましたが、よくなる気配はありません。

健康診断でも特に異常がありません。

歳をとるというのはこんなに大変なものなのか...

世の中の社会人は本当にすごいな、それに比べて自分は情けないと自己嫌悪に陥り、さらに自分を追い込みました。

 

そんな満身創痍の中、次の任期もせまっていました。

結果、自分の全力を出し切りましたが、大学の研究者としての職を得ることはできませんでした。

しかし、運良くある民間企業が雇っていただけることになりました。

 

引越、新しい仕事、新しい人間関係。

新しいことをするときはいつも不安と希望を伴うものですが、体調面も含めてこのときは不安しかありませんでした。

 

転職後、さらに体調は悪化していきました。

車などに乗るとなぜか過呼吸を起こしたり、吐き気、めまい、不眠や過眠など、色々な症状が出てきました。

そして、会社にも行けない状態になりました。

無気力で何もできない、本当に消えてしまいたくなる毎日でした↓

 

maisy.hatenablog.com

 

そんな状態をみて、妻に心療内科にかかることを進められました。

結果、うつ病でした。

すぐに会社を休職し、その後退職しました。

 

私の場合、心は強いから大丈夫と思い込み、体に出ているSOSのシグナルに気づけなかったことで、長い時間をかけてゆっくりとうつに近づいていったのだと思います。

そして、自分を精神的にも肉体的にも追い込み過ぎた。

常に成長するべきだとか、結果を出さなければ存在価値がないとか、誰かと比較して自分はどうだとか、社会的な価値だとか...

今思えば、自意識が高すぎたのでしょう。

 

うつになって、無職になって、自意識が崩壊したことで、今は心が楽になりました。

色々と失って初めて、本心と向き合えて、気力が戻ってきました。

私にはまだまだやりたいことが沢山あるんだなと思えました。

 

外山滋比古先生の著書「50代から始める知的生活術 人生二毛作の生き方」の中で、一つの職業にこだわるだけでなく、好奇心を失わずに他の職業にも挑戦していく生き方はとても面白いということをご自信の経験を踏まえて書かれています。

平均寿命も伸び、様々な働き方ができるようになってきた現代において、二毛作どころか三毛作くらいする時間があるかもしれません。

 

私の場合は、大学4年生の頃から20年ちかく打ち込んできた研究にここで切りをつけて、興味のある全く他の分野に飛び込んだら楽しいかもしれないと思っています。

 

今のところ、違う分野の求人に応募すると書類選考で落とされてしまいますが、うつ病になって1年近く働いていないアラフォーが転職市場においてどのような現実があるかについては、またそのうち書きたいと思います。

 

読んでくださっているみなさん、本当にありがとうございます!

1人でも2人でも読んでくださる人がいることが、今の私の励みになっています。それでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無気力なときが一番きつい

めいじーです。博士課程まで出ておいて、無職・うつ病・数百万円の奨学金の借金まみれという、NHKスペシャルに出てきそうな社会のダークサイドの人間です。

「博士が100人いる村」の無職とか行方不明のカテゴリーですね...

 

私は約2年前、大学で教員をしているときにうつになりました。

それに追い打ちをかけるように、任期が迫っており、大学の職を探しましたが、私の実力不足で職を得られませんでした。

その後、民間企業に転職しましたが、引き続きうつが酷くなっていき、とうとう朝起き上がることもできなくなりました。

あまりに状態が酷かったので、療養に専念するために会社を辞めました。

 

治療を本格的にはじめて1年以上たち、最近は病状もだいぶよくなり、職を探しはじめました。

求人に応募しても見送られることが多く凹みますが、根気よくやっていこうと思います。

病み上がりなので、まずは普通に税金払って、ご飯が食べれるくらいでも御の字かなと。

 

さて、うつ病が最も酷かったとき、何がつらかったか。

やはり、無気力状態で何もする気が起きないことでした。

トイレに行くのもつらい、食欲もない、趣味もやる気になれない...

色々と薬を試しては、朝から晩までひたすら寝て、起きて自己嫌悪に陥る毎日。

本当に廃人のような数ヶ月を過ごしていたと思います。

 

しかし、治療から半年ほどたってくると、なんとか外を散歩する気になりました。

そこから本当に少しずつ、普通の生活ができるようになっていきました。

散歩で遠出したり、電車に乗ってみたり、外食してみたり、川辺でぼーっと魚を眺めたり。

そんなことを続けているうちに、山に登りたいとか、絵を書いてみたいとか、ガンプラを作りたいとか思うようになり、その思いに素直に行動しました。

そして、1年近く自分の気の向くままに行動することによって、「これをやりたい!」とか「これが好き!」という強い気力が蘇ってきました。

そして、その気力が、生きていることや生きていてよかったということを実感させてくれるんだなということに気づきました。

 

社会的に役に立つか?、世間からどう思われるか?、お金になるか?などの考えを一切捨てて、自分は何が好きだったかを思い出し、自分の好きなものや事の原体験を追体験するような時間が私には必要だったのかもしれません。

うつ病で苦しんでいる方に少しでも参考にしていただけたら幸いです。

 

読んでくださってありがとうございます。

本当に励みになっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

博士だけど無職

厄年のめいじーです。

 

博士課程を修了して約10年、大学で働いたり、民間企業で働いてきましたが、現在無職、うつ病です。

今はうつ病の治療に専念しています。

社会から離脱して1年ほどたって、ようやくうつのどん底から抜け出しました。

 

調子のよいときに日記やうつ病からどのように快復したかを書いてみようと思います。

リハビリのためのブログでもあるので、あまり価値提供ができるようなものではないかもしれませんが、気長に書いていこうと思います。

よろしくお願いいたします。